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京都地方裁判所 昭和51年(タ)63号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

「被告の不貞の抗弁(間接反証)」は次のとおり。

1 康子は、手術室の看護婦であつた関係上、昭和四八年四月以降府立病院の麻酔科に勤務していた医師である訴外○○○(日本名○○○○。以下「○○医師」という。)と極めて密接な間柄にあり、被告が康子と知り合つた当時、康子は○○医師のオメガの男性用時計を着用していたばかりでなく、当時は珍しい自動車であつたルーチェ・ロータリークーペのエンジンキーを常に所持し、被告に示していた。

その当時、○○医師は滋賀県近江八幡の市民病院に勤務しており、康子は度々近江八幡へ出掛けていたことを如何にも自慢顔にしばしば被告に話していたぐらいで、康子が○○医師の情婦であつたことは、なかば公然の秘密であり、否定すべくもない。

2 康子は、○○医師との関係のほか、府立病院第二外科の△△医師、整形外科の××医師、その他※※医師と被告との間柄以上に親密で性交渉もあり、病院内でも品行の悪い女性としてひんしゆくされていた。

3 しかも○○医師の血液型も被告と同じくO型である。

従つて、鑑定の結果如何にかかわらず、現段階において被告を原告の父と断定することは甚だ危険である。

一<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1 被告は昭和四九年四月から府立病院の麻酔科の研修医として勤務していた医師であり、康子は同四八年四月から同病院に看護婦として勤務している者であるが、康子が手術室の担当であつたことから、二人は同四九年六月ごろ顔見知りとなり交際を始めた。

被告と康子は昭和四九年九月から深い仲となつて、約四か月の間に前後約五回の性交渉があつた。しかし、その過程において、康子が被告の言動から将来二人が結婚できることを期待していたのに対し、被告は、康子がほかの医師との交際も多いことを察して、単なる遊びのつもりであつた。

2 昭和四九年一二月ごろにおいては、康子の月経は二五ないし四〇日を周期として五ないし七日間持続し、同月は二〇日に月経が始まり、二五日まで持続した。その事実からそれに続く受胎可能日を導き出すと、昭和五〇年一月一日から同月二四日までということになる。

3 昭和五〇年一月になつて、被告は、年始における病院の当直の間の余暇を利用し、三日には康子とドライブをしたほか、五日の午後には京都市内の北白川にある被告のアパートにおいて康子と性交渉を行つた。

4 同年二月下旬康子が、その後月経がないことから妊娠したのかも知れないことを被告に伝えたところ、被告は康子に対し、診察を受けて妊娠であつたなら処置(人工妊娠中絶)をするように告げたが、同年四月に妊娠四か月と診断されたのに同月一三日ごろになつても康子が中絶手術を受けていないことを知つて、その点を責めた上、中絶の費用として康子に金五万円を手渡した。

しかし、四月二一日ごろ康子が被告に対して妊娠中絶手術を受けるには更に費用がかかることを伝えたところ、被告は、「自分は康子の妊娠には関係がない。」と主張するに至つた。

5 同年四月二八日康子は府立病院の産婦人科で診察を受け、妊娠五か月、出産予定日は九月二六日と診断された。

6 その後康子と被告は互に家族をまじえて円満解決のための協議をしたが、一月上旬の肉体関係を否定し妊娠中絶を求める被告側と、右関係を主張し中絶を固く拒む康子とが対立し、物別れとなつた。

7 康子は昭和五〇年一○月七日原告を分娩し、原告は母康子の子(男)として戸籍に記載されている。

二被告は、昭和五〇年一月五日に康子と会つたこと及び性交渉をもつたことを否定し、同日午後は、同月二日夕方からの風邪による発熱のため、同月三日夕方和歌山県の高野山から被告の運転する自動車に同乗して上洛し北白川の被告のアパートに滞在していた被告の母の看病を受けていた旨供述し、<証拠>中には右供述に沿う部分があるが、医師である被告の母が看病のため同行しなければならないような状態の下で、その夜の休息も経過観察もなく発熱中の被告が夕方から敢えて高野山より京都まで数時間の運転をすること自体不自然であり、そうまでしなければならない特段の重大な事情は認められない(<証拠>によれば、被告は同月四日に公立南丹病院の産科の当直をすることになつていたことが認められるが、翌朝まで休息、病状観察の上右勤務につけば足ると考えられるし、それ程の病状でもなければ母が看病に同行するまでのこともないと解される。)し、原告法定代理人の供述によれば、被告は右五日に母が看病したとの点を対立した双方の協議中何ら持ち出さず、本訴において初めて主張するに至つたことが認められることから、右供述及び各証言部分はにわかに措信できず、<以下、証拠判断略>。

三鑑定人松倉豊治の鑑定の結果によれば、被告と原告との父子関係存否判定のための原被告及び康子に対する各種検査の結果は、血液型検査については、血球型八種、血清型五種、酵素型八種の範囲においていずれも、被告、康子と原告との間の親子関係成立の可能性が認められ、それらを総合して被告が原告の父である確率は99.37パーセントであつて、極めて父らしいといえ、指紋の検査については、一般分類型、生物学的分類型及びその指紋価を基礎とした遺伝則関係において、被告、康子と原告との間の親子関係の成立を認めるのに矛盾せず、写真像作図法による客観的顔貌相似度検査については、原告は、康子に対しても、被告に対しても、真の親子関係ある家族における子がその両親に対して示す相似度の分布上、その過半数ないしほぼそれに近い者が示すところに相当する相似度を示していて、原告が被告の子である可能性は充分にあることが認められる。

また、鑑定人松本秀雄の鑑定の結果によれば、被告と原告との父子関係存否判定のための原被告、康子及び被告の父母に対する各種検査の結果は、血液型検査(赤血球型一〇形質、血清型六形質、赤血球酵素型一一形質)及び耳垢型検査については、その成績から、それらの遺伝法則に基づくと、被告が原告の父である確率は99.0パーセントであり、皮膚紋理の検査については、原告が被告と康子との間の子である蓋然性が高く、人類学的検査についても、被告と原告との間に父子関係が存在する可能性が高いことを認めることができる。

四ところで、被告は、被告と康子が交際していた当時、康子が被告以外に親密にし性交渉もあつた医師が多数いた旨主張するので、この点を判断する。

<証拠>によれば、府立病院の医師と看護婦は、以前から気楽にオープンに交際できる雰囲気があつて、単なるお茶や食事のつき合いから個別の親密な交際も多く行なわれ、中には性関係まである仲であるとうわさされる男女も少なからずあつたこと、昭和四九年ごろ康子は、医師である異性との交際が目立つて多い看護婦であり、被告のほか、○○医師、△△医師、××医師、※※医師などとの親密な交際がうわさされていて、特に○○医師との関係では、同医師のオメガの腕時計や乗用車のキーを約六か月にわたつて預かり、それを腕にはめたり手にして特段の親密な関係を誇示するなどし、二人の仲は府立病院の外科系の医師の間で広く知られていたことが認められる。

しかしながら、性関係についてのうわさは単なる臆測にとどまるものが多く、まして前記康子の受胎可能期間である昭和五〇年一月一日から同月二四日までの間に被告以外の右医師らと康子が性交渉をもつたことを認めるに足る証拠はない。

したがつて、被告の不貞の抗弁は理由がない。 (堀口武彦)

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